チェンマイのお寺にて

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タイ・チェンマイ郊外のWat Nam Bor Luangというお寺で瞑想を学んできた。
1000年以上の歴史のある非常に広大な敷地を持つ寺は、郊外ということもあり非常に静か。

教えてくださった尼さんは元教師とのことで、英語も達者。コミュニケーションにはほとんど困らない。

ゆっくりと歩きつつ動いている部分にフォーカスする瞑想、呼吸が出入りする鼻先に意識を集中して呼吸だけにフォーカスする瞑想、そしてお話をした。

20mくらいはある大きなブッダ像の前、とても静かなお堂で行わせていただいた。
教わった内容自体ははじめてのことではなかったのだけれど、誠実に説明してくれる姿勢に心より感謝。なにより笑顔が優しい。
休みをつぶしていった甲斐はあったと思う。

せんだってからたびたび書いているけれど、被災地訪問以降の心はなかなか落ち着かなかった。

よく使われる表現で、心は水面みたいなものだ、という。
何かインパクトのあること(僕の場合は被災地訪問)が、水面に波紋を起こし、広がっては跳ね返り、波紋同士が新たな波を起こしたりする
大きな波紋がおさまらないので、普段だったら気にしないことにもいらいらしたり。

尼さんが

「瞑想は外部の情報を遮断して、ただ自分の状態を観察することです。そして静寂を見つけて、自分の中の良いものと悪いものを分別しいいエネルギーを高めてゆくのです」

とおしゃっていた。

外部からの情報を遮断する=水面に石を投げ込むのをやめる、とイメージすると良いかもしれない。
わずかな時間でも水面を乱すことをとめる時間を作れば、やがて波は小さくなってゆく。

ネットやテレビなど人間の処理能力を超えた情報が無限にインプットされる現代は、瞑想のような外部情報を遮断する時間が必要とされていると思う。

震災の件については、僕が気に病んでも亡くなった方々が生き返るわけでもなく、いま生きている方々にハッピーになってもらう(自分も含む)方向で動くのがたぶん正解だ。様々な人がいるし、複雑な思いやお金や社会が絡んでいるから難しいことは多いけれど。。

尼さんは最後にこうおっしゃっていた。

周りの人の幸福を願い、自分の幸福を願い、生きとし生けるものの幸せを願う。

無駄な妄想をして、自分が持っている能力をなくし、悪循環して苦しむのではなく、幸福を目指して頑張った方がいいというのが仏教の世界なのです。

※帰り際、巨大な井戸をみさせていただいた。
数百年前のこの井戸に祈るとお布施がいっぱいくるのよ、と尼さん。チャーミングな方でした

Akira

北海道出身、旅と写真と山とダンス好き。
クラニオセイクラルやタイマッサージなどのセラピストとして活動しつつ、ウェブ制作も手掛ける。
旅ネタの多い、気まぐれブログ。
詳細プロフィール

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