わかりあえないことから

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なんとなく英語が話せるようになってきて、さらにしゃべっている姿が全国ネットのテレビで写ってしまったために通訳を頼まれるという冗談のようなお話が近頃起きる。

「なんで英語できるの?」と尋ねられるのだけれど、元々は東京で教わったヨガの先生が海外の方が多くて、でも当時は全然しゃべれず、伝わらないもどかしさ、悔しさがあってそれが学ぶモチベーションになった(今でも込み入った話だとさっぱりわからなくなる程度の英語力なのだが)

その後海外を旅するようになって、多様な国に訪れたとき共通言語となるのが英語だった。
東南アジア訛りの英語は、まあ酷いものだけどそれでもコミュニケーションをとるための重要な足がかりになる。

先だって韓国で宿泊したゲストハウスのご主人は、韓国人なのだけれどオーストラリアで長く働いていたらしい。それでも彼の英語はそんなに上手ではなかった。ブロークンもブロークン。日本人は、もちろん僕も含めて、完璧な英語を使えなければ使ってはいけない、使うのは恥ずかしいと思いがちなのだけれど旅をするとわかるのだ。おおよその国は超適当な英語で成り立っていて、完璧な文法よりも大事なことは伝えたいという意志なのだと。

劇作家の平田オリザさんが著書の中で
「『伝える技術』をどれだけ教え込もうとしたところで『伝えたい』という気持ちが子供の側にないのなら、その技術は定着していかない。ではその伝えたいという気持ちはどこから来るのだろう。私は、それは『伝わらない』という経験からしか来ないのではないかと思う。 ( わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (平田オリザ) より」
と書いている。

自分の足で立って歩くということ、問題意識を持つこと。学び事でも、言語でも、すべてにおいてそこが起点となるらしい。

Akira

北海道出身、旅と写真と山とダンス好き。
クラニオセイクラルやタイマッサージなどのセラピストとして活動しつつ、ウェブ制作も手掛ける。
旅ネタの多い、気まぐれブログ。
詳細プロフィール

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