国東半島の哲学者三浦梅園とアントニオ・ガウディ

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自然哲学者 三浦梅園

三浦梅園は大分県国東半島でほぼ一生を過ごした江戸時代の自然哲学者。職業は医者だったが彼もまた国東半島の穏やかな環境の中で人間を含めた自然の不思議さを考え続けた。

子供の頃からどうして目は見えて、耳は聞こえるのだろう?と大人が気に留めないことを考えつづけた。彼はなにかあるとメモをし、山を一つ越えた寺まで通いその蔵書で学んだ。

梅園はまた貨幣の支配と戦った一面もあり、近年地域通貨に興味を持つ人達に注目されている。

あれれ?なにかガウディの言葉と似てない?

大分県国東半島にある三浦梅園資料館を見にゆく前日、東京六本木で開催中の建築家アントニオ・ガウディx漫画家井上雄彦展を観てきた。

梅園は1700年代の人だし、生涯のそのほとんどを国東半島で過ごし、人生における大きな旅は当時海外からの情報を入手しやすかった長崎へのそれが数回だけだったそうだ。世界はおろか、日本国内においても知名度は高くない。

一方のガウディは1900年台序盤を生きた人。おおよその紹介はコチラの記事で書いたので読んでいただいて、いくつか彼らの言葉を取り上げてみよう。

ガウディ「役に立たない人は1人もいない。問題はそれぞれの人が何に役立つかを見つけることにある」
三浦梅園
「門人師弟を教育するに各其の長ずる所に随い 其の好む所に適す(それぞれの長所を伸ばし、好みに合うものをさがして)」

梅園の方は、教師の立場になった際に理想的な型に入れてゆくのではなく、生徒ひとりひとりの長所を伸ばしてゆくのがいい。また一方的に何かを価値観を押し付けるのではなく、私自身も生徒から学ぶのだ。

また

ガウディ
「人間は創造しない、発見する。独創とは起源に帰ることである。」
「私は創造者ではありません。コピーをしているのです。自然からコピーを取っているのです」
「私が心を開いて、努めて読むのに適切な偉大な書物は自然である。」
三浦梅園
<天地を師とするー「素に帰す」>
梅園はたえず自然そのものに向かいあった。天地を達観するには、先生は自然そのもので、学派は意味を持たない。既成の理論や概念を吟味するとき、その理論や概念が対象としている当のもの(素ー出発点)に立ち返ることを勧めている。梅園が条理認識の鉄則の一つとした「心の執する所を捨てる」とはこのことを意味したのだろう。
出典:三浦梅園資料館パンフレットより

ガウディも梅園も天地自然を師とし、子供の頃から草木や空、鳥や虫を観察し、そこからガウディは美しく機能的なデザイン、梅園は自然の中に流れる世界の法則を導き出そうとした。

自然に学ぶとそこに至るのか?

山の中を歩いていると自然界の動植物それぞれの環境に応じたデザインや生活スタイルなど、個々が生き延び、繁殖してゆくこと、そしてすべてのものが総体として循環してゆく仕組みに驚かされ、学ぶことがたくさんある

ガウディにしても、梅園にしても、似たような根っこがある人は同じような言葉を発するのかもしれない。

Akira

北海道出身、旅と写真と山とダンス好き。
クラニオセイクラルやタイマッサージなどのセラピストとして活動しつつ、ウェブ制作も手掛ける。
旅ネタの多い、気まぐれブログ。
詳細プロフィール

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