植林の森を想う – 熊野古道 小辺路を歩く

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 古くから高野山や熊野大社を結ぶ参詣道、そして地域の生活道として使われきた熊野古道。人が利用してきたということは日本古来からの自然が色濃く遺っているはずはなく、戦後に行われたであろう植林されつくした山々が広がる。山深く、さしたる産業もないこの地域は、狩人と杣人(そまびと=林業)、わずかな畑では粟や稗が焼畑農業により育てられていたらしい。

植林が目立つ山々
 高野山から熊野大社へ向かう道を小辺路(こへち)という。そこを歩くと最初に訪れるのは野迫川村は推定人口450人の小さな小さな自治体だ。村の総面積のうち、人が住むことが可能なのは2%ほどで、その他は山林が占めている。そのような中山間地はすべからく高齢化が進み、綺麗な道路ができてからさらに人口の流出は進む。野迫川村では2005年から2010年にかけての人口減少率は29.5%と全国一になり、このまま消え行く村となるのかもしれない。今後各地に増えてゆく風景だ。
小辺路序盤の民家にて
 小辺路(こへち)の前半部分、大股あたりまでは世界遺産登録がされる前はほとんど利用されることもなく、荒れていた。険しい山が多く、現代でも道を通すのは容易ではない環境のため、小辺路の一部はアスファルトの道路にかわり、世界遺産に組み入れられたのも全ルートの半分程度となった。アスファルトではない林道でも植林の森が多く、正直歩いていても楽しくはない。

 紀伊半島はもともと雨量が多く、野迫川村でも年間降雨量は3,000mmにも達する。戦後全国的に推進された杉などの針葉樹林の植林は大きく2つの問題を生み出した。一つはスギ花粉症、そしてもう一つは針葉樹の保水力や地盤固定の弱さからくる地すべりや水害だ。急峻な山岳地帯への植林は、数年ごとに起こる和歌山県の大規模な災害の一因となっている。

 先日歩いた印象ではあるけれど世界遺産登録されたことにより熊野古道の整備に予算がつき、山林の間伐が進むようになり、状況はゆっくりとでも改善の努力はされていると思う。日本の林業は、安い海外産木材に価格面で劣り、手入れが行き届かなくなっている山林がいたるところにあるのだけれど、その課題を解決しようという活動は各地でおきはじめている(徳島県神山町の「神山しずくプロジェクト」もその一つ。山林についてはコチラのHPもわかりやすく紹介されている)。
間伐が行き届いた森

 大量に植林された針葉樹林は山歩きをする立場からは正直面白くはない。だけどそれほど大量の木々を、莫大な労力をかけて植え続けた人々は、家族を、地域を少しでも豊かにしよう、幸せになろうといった思いを持って植えられていたのかも知れない。そう想像すると無碍な扱いをする気は起きず、僕らくらいの世代が何をすればよりよく暮らしてゆけるのか考える力になるだろう。

Akira

北海道出身、旅と写真と山とダンス好き。
クラニオセイクラルやタイマッサージなどのセラピストとして活動しつつ、ウェブ制作も手掛ける。
旅ネタの多い、気まぐれブログ。
詳細プロフィール

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