パターンにハマるな! 油断すると心はかたまり保守的になるぞ

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ぼくらは油断をすると保守的になって、新しいことにチャレンジできなくなってゆく。
「去年と同じことをしていたら負けだね」とぼくは考えている。
だから今年は東南アジアを旅して暮らしている。

油断すると保守的になる

ぼくも含めて、人間は変化に対して慎重になりやすい。

例えばドラッグ中毒などの悪癖から抜け出すのは大変だ。
ドラッグをやめる努力をし禁断症状などに耐え、自分の問題に向き合うことよりも薬でラリっている現状にハマり続けているほうがずっと楽だ(ぼくの外国人の知人の話だ)。

ぼく自身も
「世界を旅し、色々な人に出会い、新鮮な体験をしつづけている」
ように見えるかも知れないが、居心地の良い一人暮らしにハマるとなかなか外に出ようとしなくなる。
居心地のよい一人暮らし
・英語で話すの面倒くさい
・ハグするの苦痛だし
・他人といると面倒だし

みたいな根性が見えてくる(笑)

それでもなんとか自分の尻を叩いて新しいところに飛び込んでゆくわけだけれど。

そして新しいことはその結果がどうあれ「チャレンジしたな」って思える。

想像力が悪い方向に働く

人間が他の動物の一番異なるのは「想像力があること」だそうだ。
想像力があるからこそ様々なアートがうまれ、音楽がうまれた。

想像力があるから新しいことや変化に対して、それまでの経験や先入観、ネットの情報などから想像してしまう。

そして人間は楽しい経験よりも悪い経験のほうを長く覚えているものなので、新しいこと、変化に対して悪い想像をしやすい。

だが例えば海外旅行の一人旅などではまったく悪いことを想定しないのは命取りにもなるけれど、失敗が致命的になるようなチャレンジでなければ人が変わってゆくことの足を引っ張ることになる。

なんで保守的じゃダメなの?

例えば今の暮らしに満足していて保守的ならば良いけれど、結局多くの人は文句を言いつつ暮らしている(が無理をせずとも給料がもらえるので波風は起こさない)。

日本の場合、島国で他文化と触れ合う機会が絶望的に少ないので例えば外国人に対して理解しようとする姿勢が弱い。

日本古来の山村で田んぼを耕して集落で共に生きてゆくならそれがベストだったのだけれど、社会システムが行き詰まっている現状ではそれは難しい。
(そういう集落でも外からの風を入れようと挑戦している人たちももちろんいらっしゃるが)

自分のハマっているパターンに気づく

ぼくは旅先で体操教室をすることがある。
フェルデンクライスという体操をベースに教えているのだけれどコレはぼくらの身体に染み付いた動きのパターンをぶち壊すのが目的の一つだ。
森本レオ風ボディワーククラス

「ぶち壊す」なんて強い言葉を使ったけれど実際は寝転がって穏やかに動いてゆく(下記動画はフェルデンクライスの一例)。ヨガのように型を覚えて上手くこなすことは重要ではなく、むしろ天敵。

(厳密に言えばヨガも型を覚えることが大事ではないのだけれど現在のヨガはそのように勘違いさせやすい)

例えば肩こりだとか腰痛だとかある程度歳を取ると出てくるけれど、それはおおよそ日常生活の身体の使い方に問題があって出てくる。

悪い姿勢でパソコン仕事を終日していれば肩が凝ったり腰が痛くなったりも当然する。歩き方一つとっても身体は変わる。

ぼくの好きな山登りでも荷物の背負い方、歩き方で身体の疲れ方は全然違ってくる。

そのような身体の使い方の偏り自分で発見するための体操がフェルデンクライスだ。

だって自分でわからなきゃ、わかんないもん

自分のありかたの問題

矛盾するようだがどこかに飛び込んで行ったりするばかりが変化ではなく、心のありようが開いていれば普通の暮らしを続けていても変化は向こうから訪れたりもする。

例えばぼくの場合、バリ島で若干引きこもり生活をしていたが(´・ω・`)、突然舞い込んだ話で来週からスリランカにゆくことになった(爆)

常に変化に対して開いていること、そしてそのような姿勢の友人をつくること。そんなことが常に移り変われる自分でいる鍵になるような気がする。

Akira

北海道出身、旅と写真と山とダンス好き。
クラニオセイクラルやタイマッサージなどのセラピストとして活動しつつ、ウェブ制作も手掛ける。
旅ネタの多い、気まぐれブログ。
詳細プロフィール

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