表現は世界をよくしてゆくためにある

先日、ブログ経由で御礼のメールを頂いた。

「私は他の誰かより上手く踊ろうとはしない。自分自身より上手く踊ろうとするのみ。」

というミハイル・バリシニコフの言葉を引用した記事が役に立ったらしい。

8月に再開したバレエは、楽しい反面、バレエ界の残念さも思い出して少し疲れていたところだった。ブログにしても書く意味が少しボヤけてきていたところだったので、このメールは自分にとっても力になった。

表現において99人にとって無意味でも、誰か1人の価値観にほんのすこしでも影響を与えることができるのなら、それは表現する価値があったということなんだろう。

ぼくらはついつい日常で疲れて、ボヤいたり、愚痴ったり、建設的ではない方向に落ちやすい。でも悪態をついたところで世界はよくなることはなく、マイナスのエネルギーが周りに発散されてその人達も疲れてしまうだけだ。

たとえわずかな影響力だとしても世界を良い方向に、楽しい方向に少しでも導くことが大人の勤めだと信じている。

ネットの場合、たまたま出会った情報を見て流してゆくことは簡単なのだけど、こうして感謝を伝えてくれると一方通行の発信ではない、交流がうまれてありがたい。

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追記:文章の収まりが悪かったので補足するが、例えば哀しい物語でも観た人の経験に寄り添う効果があったりするわけで、そこは否定していない。絶望を与えるだけのものはチョット・・と思うが。



追記(2017/10/11)

近頃のネットは小遣い稼ぎのためのゴシップや嘘、噂をまとめただけの記事があふれている。
ネットは自由だし、何をするのも勝手なのだけれど少なくとも自分1人だけでも品性を保った文章を書いてゆければ、と思う。

・・・・空港野宿が品性あるか、と問われると謎だが

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